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死を迎えるための長くて短い数か月でした(完結編)

・・前回の続きです。

本当は家族葬ということで喪主である親父と僕夫婦&妹夫婦、若干の親戚くらいでつつましくお経を読んでもらって終わり程度のつもりだったのが、僕が会場に戻ると母親のお友達おばさん軍団が来ていて既に家族葬じゃない雰囲気になっていました。

母逝去の情報は近親者にしか流してなかったのだけど、ちょっとした隙間から情報が出てあっという間に行き渡ってたんですよ。母親は交友関係が広い人だったので、もうわんさかと人が集まってる。

葬儀の進行は親父に任せてたのだけど、想定外の事態に既に飽和してて動けなくなっていました。というか既に酒飲んで酔っ払ってるよなこれ?

これは困ったと思ってたら、ここでちょっと見た目が怖い葬儀屋の社長さんが登場。「話が違うよ長男さん・・」とか言われるのかなと一瞬思ったけど、てきぱきと会場を整理の上「司会はない家族葬ですよ」としていたのに自ら司会進行を急遽してくれて式の進行が出来る状態に。なかなかの美声での名司会。

事務所の雰囲気等も併せて社長さんはアッチ側の人かもと最初に思っちゃったんですが、実はすごくいい人で式の進行を翌日の葬儀も含めて最後まですべて執り行ってくれました。

ついでお坊さん。最初に見たときはニット帽/ジーンズ/グラサンといううーんこれなんてーのかなDQN?という印象の人だったんだけど、袈裟に着替えてお経を読んで貰うとこれまた見事な、参加者を巻き込んでの独特な読経。

参加した母親の友人の皆さんが「こんないい葬儀は初めてだった」と口を揃えて言うという不思議と良い感じの通夜と葬儀となりました。

実は戒名は付けない予定だったのだけど(その分お布施をけちってるw)、お坊さん側であれこれ熟考してくれたようで戒名も持ってきてもらって。家族も納得の戒名だったのでそのまま頂くことにしました。これまた感謝。

そして母は灰となり、土に還って行きました。

以上、ほんの数日間でどたばたと色々ありましたが最終的には非常に良い葬儀となり、亡き母も満足しているんじゃないかな?と思っております。

死を迎えるための長くて短い数か月でした(葬儀編)

さて、先日母を亡くしたわけですが、その葬儀編。

これはもう先は長くないなと思った段階で葬儀屋を探すことにしたんですよ。親父があたふたしててもう回ってなかったんで僕が探すことにしました。

一概に言える訳じゃないんですが大きな病院には葬儀屋さんが出入りしているところが多く、「この患者危なそう」みたいな情報を聞きつけていざその時が来たとき、病院側に頼むとその出入りの業者さんを斡旋されたりするということが多いそうです。そしてこれまた一概に言える訳でもないと思うのですが、あれよこれよと葬儀費用を上乗せさせてぼったくられるのかなと想像。

やっぱ家族はどうしていいかわかんないじゃないですか。そんなときにそうされたらもうそのウェーブに乗るしかなくなるし。

実際母が入院していた病院でも、定期的に葬儀屋と思しきおばちゃんが何か場違いな雰囲気でうろうろしているのを何回か目撃してたので、ぼったくられるのは嫌だと思ってたので事前に自分で探しておいたほうが吉だなと。

探すと言っても初めての事なので全くわからないので、まずは実家近所の葬儀情報についてぐぐります。

するとどうやら実家のある街では以前は市役所の中に葬儀を行う部門があり、今はそれと同様のサービスを価格を決めて業者に委託するというような仕組みがあるということが判明。その委託業者であればとりあえずは安心な業者であろうということでまずリストを作成。

ついでそれらの業者個々について「●● 悪徳」とか「×× ぼったくり」みたいなので検索をかけてよろしくない情報がある業者を外して、その中で実家に近い数社に絞り込み。

絞り込んだ先に問い合わせをかけてあたりをつけておきました。

・・そしてその時がきました。

少々落ち着いてから、あたりをつけていた数社の中からまぁここかなというのを最後はえいやと決めて電話を入れます。初めて知ったんですが葬儀屋さんって電話入れたらすぐにお迎えに来るんですね。「今から伺います」って言われて「いや明日でいいです今日は病院で管理してもらいますんで」と言って翌朝に来てもらうことに。

間が悪いことにちょうどその時子供がノロっぽくなってたもんで、僕は家に帰って翌朝一番に子供を病院につれていかなくちゃいけなくなったので、ちょうど来ていた妹に「あとは頼んだ」と任せて去ることに。

翌朝早朝一番、子供を病院に連れていって自宅に戻り、先に親父と妹が行ってるであろう葬儀屋に向かおうと思ったら妹からメールが。

「はよ来てやばい、なんか組事務所みたいな雰囲気のところや、ぼったくられそうや」

といった内容のメールで急いでその葬儀屋に向かいます。到着すると確かにやばい雰囲気の事務所が葬儀屋さんでした。恐る恐る中に入ると、うわこれは・・・と思うような人が座ってました社長さんです。

もうしかたないのでとりあえず見積もりを見せてもらってあれこれ細かく聞いてみると、ん、別にぼったくられてないよな、むしろうちの親父が自分でいろいろ費用を盛り付けてるよなこれと思ったので必要最小限にしたらまぁそんな値段かなという感じのところに納まって。

ただ社長さんの見た目が怖くって先々なにかあるかもなという雰囲気だったのだけど、もうこれはこの流れに乗るしかないなと思いあきらめました。

一応、御経も読んで貰うのでお坊さんも到着・・・ジーンズにニット帽にグラサンです、うう・・・

そのまま、お通夜の準備に入ります。家族葬ということで小さく行う予定で、葬儀屋さんも「特に我々は取り仕切りませんのでご家族で進行等はお願いします」という感じで進めることに。

あちこちから人がくるので僕が駅から葬儀屋までの輸送係となって行き来しないといけなくなったので親父に進行は頼んでたんだけど、どっから情報が漏れたのか家族葬のはずが沢山母親のお友達か来てしまってて会場が大混乱。

・・つづく

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

死を迎えるための長くて短い数か月でした

先日、母を看取りました。71歳でした。

2ヶ月前、父親から「急いで家に来てほしい」と電話があり、東京に行ってた最中だったのであわてて大阪に帰ると、そのときはまだ何の病気かわからないながらも既に体を動かすこともままならない母の姿がそこにありました。

とある病院で各種の検査を受けても病名が分からず、「なぜわからないのですか?」と母が地域の名医と呼ばれている担当医に聞いた際に、その言葉が責めてると思われたのか逆切れされた上に暴言を吐かれ、ゆえにそこから先の治療のための動きが取りにくくなった、既にそんな困り果てた状況でした。

直観的な「ここが悪いのではないか」という想いを頼りに翌週に行った病院ですぐに病因は突き止められたのですが、すでに手遅れでした。

そこから、死を迎えるための医療に入ることになりました。

急激に体が動かなくなった母は自分でもその事実を受け入れることができておらず、誰か近親者がいないととても不安になるようなのでで父が傍に付きっきりで介護にあたりました。そのような形で介護と医療が受けられる施設を紹介してもらいました。

僕と東京に住む妹も交代して付き添い、もともと医療従事者の妻にも多大なサポートをしてもらいながらやりくりしてたんですが、多くの時間はやはり父がつきっきりだったのでこのままでは父が倒れるなと思い、父の負担を軽くするようにその施設から完全看護の緩和ケア病棟をもつ病院に更に移動。病院の看護に基本は任せて、父はたまに面倒を見に病院に行くスタイルに持っていこうとして、僕の口から母に「このままだと家族全員が共倒れになる」と説得し一旦は納得してもらったんですが、二日ほど父が母の傍を離れたときにパニックに陥ってしまい、その後に父から「母さんが寂しがるからもうお前は母さんに何も言うな、俺がずっと傍にいるようにする」と言われ、そこから母が亡くなるまでずっと父は母の隣で寝泊まりをしていました。

先週末の深夜様態が急変、駆け付けた時には少し意識があって僕のこともわかったようですが朝方から昏睡状態に。数日間昏睡状態が続いた後、ちょっと予感があったので家族全員が集まって見守る中、母は皆に皆に看取られながら息を引き取りました。

死の直前、一瞬意識が戻り、言葉にならない言葉を話して数分後に静かに息を引き取りました。
覚悟は出来てたので落ち着いたもんでした。

父はどこか気が抜けたようになってしまったので、葬儀の手配や進行は僕と妹で進め、最後に骨壺に骨をおさめて実家に母を戻すことができました。

骨となった母が家に戻ったのを見て、初めて涙があふれて号泣しました。
誰もいない部屋で一人号泣してたつもりが、息子に見られてしまいました。でも息子も察してか、何も言いませんでした。

痛みに耐える母、懸命に介護する父、みんな大変だったと思います。
僕も「よし、いくか」と病院まで車を走らせようとする度に、水の中で動いてるようなけだるさが襲ってきて逃げたくなってたのも事実です。

不思議なもんでそんなときに力になってくれたのは、一緒に行ってくれたまだ小3の息子でした。一緒に行っても病室の隅でゲームしてるだけなんですが、息子は僕の力強い相棒でした。ありがとう。

少し乗り切った今、記憶としてここに少し文章を残しておきます。

テーマ : 感謝をこめて
ジャンル : 心と身体

どたばたしてたらまた前記事から一か月経過

・・とりあえず、生きてますので。

テーマ : その他
ジャンル : その他

日本の医療制度とかシステムとかわけわからん

ついにこの日が来たかという感じで急激に母親が弱り、先日入院した。2ヶ月くらい前までは息子(孫)と夏祭りに行ったりもしていたんだけど、体調が良くないことは聞いていた。いわゆるかかりつけの病院からあちこちの病院を紹介してもらい検査をしても病名が分からず先日半ば直感でここなら分かるのではないかという病院を父親が調べ紹介状を書いてもらい、たぶんこれだろうという病名が確定ではないが判明した。

しかし、この紹介状を書いてもらうというシステムってなんだろう?古き時代のやりかたを現代風にシステム化しましたみたいな感じなのか?職場の隣の席の中国の人も「日本の病院わけわかんない」と言ってた。

話は脱線したがここに至るまでに約2ヶ月、病名がついてそれで逆引きするとほぼ症状が一致するのでたぶんそうなのだろう。NHKでドクターGという番組で、そういった種々の情報から病気を特定するという番組があるが実際難しいのだな。

思うに医療ってあんまりこう多変量で見れる領域じゃないな、なんか。人にも依って、だから名医ってのが居たりするんだろうけど、知的な体系とかシステムにしないとこれだめだよ。

比喩だけど、

病名=F(病状)
治療=G(病名)

みたいな関数だとしても、

治療=H(病状)

みたいなことができない。病状と病名も基本線形で1~2パラメータ程度、多変量になると一概に分からないとか経験値が必要とかになるみたいな。文化なんだろうな。また話がずれた。

少し前に見たときはまだ動けていたのだが、この段階でもうほとんど動けない状態なので介護申請。この介護に関する各種の制度がややこしくて、「誰に聞いて、どこで申請して、どうなる」ってのが事前の情報が無いと分からない。嫁さんが医療従事者でここらへんの知識を豊富に持っていたので円滑に進んだのだけど、手続きでたらい回しにされてる間に死ぬでこれ。

という愚痴でした。

去年は同時期に嫁さんが入院、その直後に父親が入院、なんだかんだと気張ってた母親がガクッと来た感じなんだろうと思う。と、同時に医療や福祉の現場って皆さん大変なのは分かるのだけど、もっと効率化しないとあかん領域だよなとおもた。

何かそこに問題意識ある皆さん、何とかしません一緒に?特に情報化の視点で。

そんな感じで晩餐等々お約束していた皆さん、ちょっと行けませんのでよろしく。

テーマ : 薬・医者・病院等
ジャンル : 心と身体

ご近所付合いが難しい件

一昨日くらいにうちの子が遊びに行ってずぶぬれになって帰ってきたらしい。4人位で水鉄砲で遊んで、集中攻撃されてそうなったらしい。家まで撤退してきて、着替えて再度出陣。

で、これを近所のとある人が見てたらしく「あれはない」というようなことを嫁さんが言われたらしい。

で、最初はあれはないというのを「周りに迷惑をかけるようなことして」というニュアンスだと思ったもんで、その日の夜に「人に迷惑かけるような事をして遊ぶんじゃ無い」と波平さんのように叱った。本人も言われた意味は良くわかってて反省。

ところがどうも今日になっておかしな感じになってる。一緒に遊んでいた子のお母さんたちから「ごめんなさい」みたいなメールが来ると。

・・ん?良くわからん。しばし考えた。で、情報の断片からこういうことかなという結論がこれ。

「3対1でうちの子がいぢめられてて『あれはない』という感じで話が漏れてる」んだなと。

うちの子は心臓に毛が生えてるタイプ。親に似ず割と精神的に荒っぽいところがあるんだけど、見た目が弱っちい。ちょっと見た目と中身のギャップがあるんで、そーゆーシナリオが生まれたんだなと。

で、なんでそんな感じで話が漏れたのか?

ん~、至った仮説が「そうあってほしい(いじめられててほしい)という願望をもった人が話を喧伝してるのだな」と。ご近所付合いって難しい。

テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

ようやく一息つけた感

ようやく一息つけた感があるので今年最初のエントリー。

昨年10月くらいに嫁が体の異変に気づいて検査、病状は控えるけど手術をしないといけないことになった。
ちょうど4日程の出張に行っていた時で僕が帰るまで心配させまいと黙ってて、聞いた時は大きな衝撃を受けた。

進行性の疾病だけど進行は急激ではないということで、近所の市民病院、セカンドオピニオンとして大学病院、さらに裏オピニオンとして嫁自身の大学病院にいる知人などから情報を集め、最終的に執刀医、術式、病院を決定して昨年末に手術。

治療ってのは正解が一意にあると限らない。医者の意図や、患者の意図、術式の安全性や蓄積されている知見などなどからそのゴールを決めて治療方針を決めていくことになる。

いろんな医者の意見を聞くと多面的というよりそれぞれの立場からの意見というのが垣間見える。テンプレートというのはあっても、ファンクションという概念が無い世界に思えた。医療で必要なのはそこじゃないのかな、とか思った。言ってることわかんないな。

当初1週間の入院の予定であったが、安全を見て2週間入院し、正月前ぎりぎりに退院するという慌ただしい年末だった。

うちにはまだ小学校低学年の小さい子がいる。2週間お母さんが居ない状態で大丈夫かなと危惧してたのだが、親の目から見てもマイペースに、普通に過ごしてた。僕があの年だったら泣いてただろうなぁと思うも、性格の違いかなぁ?逞しいといえば逞しく。

僕の両親が来てくれて飯の準備とかいろんなところの送り迎えとかしてくれたので、なんとか家の事もやりくりできた。

嫁の入院途中に実は明らかになったのだけど、うちの親父がこれまた年が開けて手術だという。嫁のこともあり俺には黙ってたんだね。感謝。

その親父の手術も先々週に終わり、この前の土曜に退院。こちらも経過よく終わった。

話のオチも何もないのだけど、そんなここしばらくなのでした。

テーマ : 家族
ジャンル : 結婚・家庭生活

開放感あふれる家!

我が家はリビングから二階までの大きな吹き抜けがとっても素敵で、二階の部屋からはその吹き抜けから一階を望める素敵な窓っぽいのがあったりする開放感あふれる造りの明るい家である。

「開放感あふれる家っていいよね!」なんて訪れた人が褒めてくれます。
リビングの一角にはちょっと腰掛けられるような高さでつながっている和室があって「こーゆーのもアリだよね!」となんて思わせるような感じ。

・・・失敗でした。いろんな意味で失敗なのだけど

なんでかっつーと子供が大きくなってくると子供部屋をあげるわけなんですが、開放感あふれる造りがあだになる。子供は早く寝るから音が響きやすいんでTVとか音小さくしないといけないし、明かりも邪魔になる。今は文句言わないけど将来的にはもっと邪魔になるんだろうなあ。

半端な和室も使い道が無いんだな、これが。ちょっと腰掛けてなんて使い方もしないし。あと、冬場寒い。部分的な暖房が出来ないもんだから省エネ効果が薄い。

普通のちゃんと部屋がきちんと分割された家にしときゃよかった。いやまぁそれ以前の問題なんだけど

テーマ : 住宅・不動産
ジャンル : ライフ

今日のヨドバシ梅田の5階のベイ太2号

嫁さんがiPhoneのジャケットを買いたい&ユニクロに行きたい、子供が遊んでくれ遊んでくれとうるさい、私は心を癒されたいということで、全てを満たせるヨドバシ梅田にGO。

で、ヨドバシ5階のおもちゃ売り場にあるベイ太2号&ビー太1号の所に息子を連れて行く。
ベイ太2号はベイブレードを持っていたら遊べる機械相手の対戦マシン、ビー太1号はビーダマンを持っていたら遊べる機械相手の対戦マシン。
ベイブレードが何か、ビーダマンが知らない人はググって調べてください。

息子はベイブレード大会とか、ベイ太2号に集っている誰だとも知らない子供達と、あーでもないこーでもないとワイワイ遊ぶのが好きなんだな。

ところが・・

ベイ太2号に並んでる数人の中に俺より年上と思われるおっちゃんが並んでる。そして、本気で戦ってるよう・・に見える。

うーぬと思いながらも僕は息子を置いてドロイドタブレットとか見に行ってしばらくして戻ったら・・今日は知らない子とワイワイという雰囲気ではなかったようだ。いやぁ師匠が居るんですよみたいな感じで、ちっこい子はうちの子を除いて誰もいなくなってて。

ここに書くか悩んだのだけど、ちょっと印象に残ったシュールな光景だったもので。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

地元集中運動

俺の住んでいた地域では「地元集中運動」というのがあった。

Wikipediaにも載っているようなので後で見てみようと思うが簡単に言うと、中学から公立高校に上がるときにその高校の地元にある中学から進学しよう(させましょう?)という運動であった。推進してたのは中学の教師のほうかな。

公立高校でもレベルに差がある。今は知らないが割と雲泥の差がある。

なので教育熱心な親の子とか賢い子が「あのレベルの高い高校に行きたい」と言っても行けないので、教師と親が衝突していたのを覚えている。

で、当時の俺の立場は「別にどこでも近いところがいい」であった。なので、教師との衝突も特になかった。賛成でも反対でもなく、それだけの理由で地元高校に行くことを表明していたんだが、教師に「あの子はあっちのいい高校に行こうとしているから説得して」みたいなことを言われたことがあった。

別に俺は地元集中運動の推進派ではないのだけど、推進派だと見なされてた。まぁ何の気なしに「あの子」と言われた奴に「こんなこといわれたで~」と、言った。

そんときに「朱に交われば赤くなる」と、言われた。つまり、アホに交わるとアホになるから賢い高校に行くんだと。すごいこと言うな、なるほどな、と関心した。

ちなみにそいつとは大学で再会するというオチもあったりして、地元集中運動のあるなしと関係なしに高校の選択肢について思うところはあるのだが、今考えると中学教師の推進していた地元集中運動は子供の意向、才能、選択の自由を奪う運動だと思う。

近い将来に親として衝突するかもと思い、たいしたことはない覚書。

テーマ : 高校受験
ジャンル : 学校・教育

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