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死を迎えるための長くて短い数か月でした

先日、母を看取りました。71歳でした。

2ヶ月前、父親から「急いで家に来てほしい」と電話があり、東京に行ってた最中だったのであわてて大阪に帰ると、そのときはまだ何の病気かわからないながらも既に体を動かすこともままならない母の姿がそこにありました。

とある病院で各種の検査を受けても病名が分からず、「なぜわからないのですか?」と母が地域の名医と呼ばれている担当医に聞いた際に、その言葉が責めてると思われたのか逆切れされた上に暴言を吐かれ、ゆえにそこから先の治療のための動きが取りにくくなった、既にそんな困り果てた状況でした。

直観的な「ここが悪いのではないか」という想いを頼りに翌週に行った病院ですぐに病因は突き止められたのですが、すでに手遅れでした。

そこから、死を迎えるための医療に入ることになりました。

急激に体が動かなくなった母は自分でもその事実を受け入れることができておらず、誰か近親者がいないととても不安になるようなのでで父が傍に付きっきりで介護にあたりました。そのような形で介護と医療が受けられる施設を紹介してもらいました。

僕と東京に住む妹も交代して付き添い、もともと医療従事者の妻にも多大なサポートをしてもらいながらやりくりしてたんですが、多くの時間はやはり父がつきっきりだったのでこのままでは父が倒れるなと思い、父の負担を軽くするようにその施設から完全看護の緩和ケア病棟をもつ病院に更に移動。病院の看護に基本は任せて、父はたまに面倒を見に病院に行くスタイルに持っていこうとして、僕の口から母に「このままだと家族全員が共倒れになる」と説得し一旦は納得してもらったんですが、二日ほど父が母の傍を離れたときにパニックに陥ってしまい、その後に父から「母さんが寂しがるからもうお前は母さんに何も言うな、俺がずっと傍にいるようにする」と言われ、そこから母が亡くなるまでずっと父は母の隣で寝泊まりをしていました。

先週末の深夜様態が急変、駆け付けた時には少し意識があって僕のこともわかったようですが朝方から昏睡状態に。数日間昏睡状態が続いた後、ちょっと予感があったので家族全員が集まって見守る中、母は皆に皆に看取られながら息を引き取りました。

死の直前、一瞬意識が戻り、言葉にならない言葉を話して数分後に静かに息を引き取りました。
覚悟は出来てたので落ち着いたもんでした。

父はどこか気が抜けたようになってしまったので、葬儀の手配や進行は僕と妹で進め、最後に骨壺に骨をおさめて実家に母を戻すことができました。

骨となった母が家に戻ったのを見て、初めて涙があふれて号泣しました。
誰もいない部屋で一人号泣してたつもりが、息子に見られてしまいました。でも息子も察してか、何も言いませんでした。

痛みに耐える母、懸命に介護する父、みんな大変だったと思います。
僕も「よし、いくか」と病院まで車を走らせようとする度に、水の中で動いてるようなけだるさが襲ってきて逃げたくなってたのも事実です。

不思議なもんでそんなときに力になってくれたのは、一緒に行ってくれたまだ小3の息子でした。一緒に行っても病室の隅でゲームしてるだけなんですが、息子は僕の力強い相棒でした。ありがとう。

少し乗り切った今、記憶としてここに少し文章を残しておきます。

テーマ : 感謝をこめて
ジャンル : 心と身体

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